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仕事にかかる前のペンシャープナー

susuki

 本日は、「ペンシャープナー」という、誰にでもできる仕事前に思考を整える方法について。

 ペンシャープナーというのは、ペンを磨くもの、ペン先を鋭くするもの、のことです。
 しかし、違う意味で使われることもあります。

 ノンフィクション作家の野村進さんは『調べる技術・書く技術』という本のなかで、ペンシャープナーについて、これから一仕事(ノンフィクションライターだから原稿を書くとか、書くために考える仕事)するまえに、いい文章を読むとスッと仕事に入っていきやすくなるということにふれ、そうした「文章」のことをペンシャープナーだといっています。

 野村さんは、一仕事する前には、ペンシャープナーのほかに、精神を集中させるための「儀式」も重要といいます。
 プロの書き手は、いろんな「儀式」を持っていて、野村さんは、緑のなかをひたすら歩き(だからいつも仕事場は公園のそばにあるらしい)、作家の吉村昭さんは、柱などもピカピカに磨きあげてしまうくらい部屋中の掃除をしたのだそうです。ほかに、クラシック音楽を聴いたり、太極拳をしたり、人によって様々なものがあるようです。
 私の場合は、歌詞のいいニューミュージック系(古くても可)の音楽を聴くとスイッチが入ります。スイッチが入ったら、もういらなくなるのですが。

 野村さんは、「ペンシャープナー」と「儀式」を使い分けていますが、知的生産活動をするプロフェッショナルにとっては、どちらもペンシャープナーであり、儀式だと言ってもいいかもしれないなと私は思います。野村さんの使い方では、身体全体を知的な生産活動に適した状態にするのが儀式であり、言葉の刺激によって、直接、思考を鋭くするのがペンシャープナーということになるのでしょうが。

 この話は、きっと多くのビジネスパーソンが理解できると思うのですが、人はしばしば、忙しさに紛れ、時間に追われ、自分の儀式やペンシャープナーを忘れることがあると私は思います。
 忘れているときは、どこか自分らしくなく、地に足がつかず、ふらついて、目に前の光景がなぜか殺伐としてきて(これは整理が悪くなることと関係が深そう)、自分に自信が持てなくなって、そして、楽しくなくなっていくように思います。

 ちょうど私は本の執筆中で、原稿にとりかかる前に行う集中の儀式の重要性を再認識しているところです。それ次第で、ペンの進み具合がまるでかわってきますから。

 人間の落ち着きや自信は、いい思考をしているかどうかと深く関係しています。
 思考は、頭のなかに文章が浮かんでいる、というのとほぼイコールなので、「頭のなかで、いい文章で自分らしく考えられている」ということが、知的生産には大変重要です。
 ですから、プロの書き手は、「ペンシャープナー」を大事にしているのでしょう。

 ほんとうに、読んでいると落ち着く文章というのがあります。小説でも、ノンフィクションでも、ビジネス書でも、ジャンルに関係なく、仕事に掛かる前に、自分が落ち着く心地よい文章を読むのはおすすめです。

 ところで、自分にとって心地よい文章、こころが落ち着く文章とはどんな文章でしょうか?
 心地よく感じるということは、きっと、書き手が頭のなかで使っている言葉、すなわち思考パターンと自分のそれが近いということです。
 さらに言うと、人が書いた文章でなくてもいいんです。自分が書いた文章も、ときに、最高のペンシャープナーになり得ます。

 私はたまに、自分の書いた本を読み返すことがあります。自分がいまひとつ冴えず心も沈みがちなときに、かつて自分が、気持ちを込めて書いた文章を読み返すと、いい状態のときの自分に刺激を受けます。時を超えた、自分からのメッセージ、というんでしょうか。
 中学校時代に書いた詩を読んで、今の自分よりすごいじゃないか! と思うことさえあります(笑)。
 じゃあ、いまの自分は、どうなんだ? ということにもなるんですが。

 一滴の触媒がフラスコに入った1リットルの液体を化学変化させてしまう。そんな、ペンシャープナー効果。
 これは、音楽がもたらす効果に近いと思いませんか?

nomurasusumu

熱クー(4) フィールドワーク

morinosora

 熱クー第4弾は、フィールドワークが、熱く語るための基になる「自分のオンリーワンなネタ」をつくる、という話しです。

 熱く語るためには、「私はこうなんです」と、しっかり言えることが大事です。たとえそれが、世のため人のために何かをするという話であっても。
 「私」が軸になった話が入っていないと、会社の未来を左右する新規事業や変革の提案でも迫力がでませんし、人の心を動かせません。
 さまざまなビジネスプラン作成のお手伝いをしてきましたが、この点を勘違いしている人は、たいへん多いです。
 みんなのための話だからと自分を引っ込めずに、自分だからこういうことを考え、こういうことをやりたい、と語るほど、逆に共感が集まるのですが、多くの方が、「じっさいにやってみるまで、それを信じられなかった」とおっしゃいます。

 「私はこうなんです」としっかり語るために、「フィールドワーク」から得たナマの体験や情報は、たいへん貴重なネタになります。

 今の時代は、インターネットやSNSなどの普及にともない、いい情報がスピーディーに広まるようになりました。つまり、人々が同じ情報を共有することにおいては、とてもうまくいっているわけです。

 しかし、裏を返せば、“知っているか知らないか”の違いだけで、個々人の差がなくなってきているともいえます。
 そんな時代にこそ、その人だけが知っている「オンリーワンな情報」が元になった発想が、壁を越える力になります。

 スピーチでも、説得したい相手を前に話す場面においても、いかにオリジナルな話ができるかということに価値が出てきます。オリジナルな要素のない話にインパクトはありません。

 オリジナルな要素は、自分自身の体験や、自分の強い想いからでてきます。
 オリジナルな要素が欲しければ、何よりも、「テーマを持って歩く」が鍵。
 テーマを追究するために、何か役に立つことがないかと考え、自分の目で確かめに現場に行ったり、人に会って話を聞いたり、いい資料をあの手この手で探す。
 それが「フィールドワーク」です。

 フィールドワークは誰にでもできます。
 人は、人生を歩む過程で、いろんなことを体験するチャンスがあります。テーマさえ持っていれば、自分の人生は、すべからくフィールドワークになるとも言えるでしょう。

 フィールドワークについて考えるとき、頭に浮かぶ作家がいます。吉村昭さんです。
 吉村昭さんの作品のひとつに『三陸海岸大津波』(文春文庫)という本があります。これは、吉村さんが、縁ができて三陸の町に通っているうちに、過去に起きた大津波の記録が埋もれてしまっていると知り、丹念に、現地で証言者を訪ね歩き、残された資料を捜し歩き、まとめた本です。191ページと読みやすいボリュームにまとめられています。
 いまあらためてこの本を読むと、ほんとうに驚きます。
 津波が起きる危険性は常にあり、そのとき、どうしたいいかを浮かび上がらせているのですが、文字どおり、3.11とダブります。

 多くの人がこの本を読んでいたなら……と思わざるをえません。
 自分のテーマを大事にし、フィールドワークを続けながら、いい仕事をたくさん残された吉村昭さんの人生は、ほんとうにすばらしい人生だったと思います。
 吉村さんの文体は淡々として静かですが、読むにつれ、じわじわと心を揺さぶられます。「ここに、こんな真実があるのだ、と読むものに感じさせる力」を感じます。
 吉村さんの硬質で美しい文体は、自分が見て、聴いて、調べて、そして、感じ、深く考え、その結果、かならず真実が見えてくるという余裕の表れなのではないかと、私は密かに思っています。
 ちなみに、私の一押しは、役所広司主演で映画化され、カンヌ国際映画際でパルム・ドールを受賞した『うなぎ』(監督・脚本とも今村昌平)の原作も所蔵されている短編集『海馬(トド)』です。

sanrikukaiganootsunami

熱クー(3) プロフェッショナリティとビジョン

manatsunotsuki

 「熱き心とクールな頭のつくり方(略して「熱クー」)」の第3弾です。
 今回は、プロフェッショナリティとビジョンが合わさると、魅力的な熱い語りを生み出すという話です。

 プロフェッショナリティとは、特定の分野でしっかり飯が食えることをいいます。
 ただ飯が食えるだけでなく、専門能力を生かし、誰にもできない仕事をして人に価値提供し、認められているというニュアンスが、この言葉にはあるといえるでしょう。
 だから、プロフェッショナリティを持っている人は、魅力的に映ります。

 本人からしてみれば、人が認めるプロフェッショナリティは自信になります。
 そして、プロフェッショナリティは、自分がやりたいことを熱く語れる一つの基盤になります。
 逆に、プロフェッショナリティが脆弱だったり、自分で自分のプロフェッショナリティを整理できずにいれば、発する言葉に迫力が出ません。

 最近、何人かの大臣の「失言」が問題になりました。いずれもプロフェッショナリティに関わることだったと、私は思います。
 「この分野は素人なので」という一言は、大臣としておかしいです。なぜ、素人なのに、大臣が勤まるのか。どう考えてもわからないからです。

 しかし、かりに、専門分野が他にあるとした場合、その専門を「新たな分野」にどう生かして、自分だからこそ人にできない価値提供ができるのだと言えるなら、特定分野を扱う省庁のトップになる資格はあると、私は考えます。

 プロフェッショナリティは応用がきくもので、2つ以上の分野の掛け合わせで一流のレベルになることも大いにあり得ます。
 政治家であれば、特定分野の専門家としての知識も当然有効でしょうが、それ以上に、一つのビジョンのもとに、人を巻き込んで、ビジョン実現に向けてリーダーシップを発揮するというプロフェッショナリティが、最も必要でしょう。

 一つの省庁といっても、扱う分野は多岐にわたっています。大臣は、元々、いわゆる「専門バカ」では勤まらないはずで、自分の一番の専門ではなくとも、自分の総合的な能力を生かしてさまざまな専門スタッフを動かしていけるかどうかがもっとも大事なはずです。

 だからこそ、ビジョンを自分の言葉で語り、自分のどういう能力を生かして、どういう戦略でビジョンを実現していくのかを語ればいい。
 それは熱い語りになり、結局、大臣としてのプロフェッショナリティを、しっかり語ることになると私は考えます。
 その語りによって、関係者のモチベーションは上がるでしょう。
 また、ビジョンを語る人のところには、かならず、いい情報といい人材が多方面から集まってきます。
 大臣こそ、そういう人であって欲しいです。

 ですから、その分野で経験がないから○○大臣の手腕は未知数だ、というのはわかりますが、むしろ、最低限の〈勉強〉をしたところで、その大臣がどういうビジョンを語るかについてメディアは注目し、取材して報道すべきだと私は考えます。
 そうしていけば、政治の質は、かならず高まるだろうと。

 ところで、国会議員のみなさんは、どれだけビジョンを発信しているでしょうか。
 国会議員のウェブサイトを見てみると、当然ながら、世の中の問題点を正す、という視点はあります。しかし、ビジョンを語り、ビジョンをどういう戦略で実現していくかについて語っているウェブサイトは、与党も野党もまったくと言っていいほどありません。
 国会議員が出てくるテレビ討論でも、ビジョンを語り合っているところをあまり見たことはありません。
 つまり、「魅力的な未来像を描き、共感者を増やしていこう」という視点をもっている議員は、たいへん少ないのではないかと私は思います。

 日本の政治の問題点が、ここに集約されているように思えてなりません。

 新しい価値創造、新しい問題解決が求められているいま、自分のプロフェッショナリティを見直し、自分のビジョンを自分の言葉で語れるようになりたいと考えているビジネスパーソンは増えています。
 ビジネス界の方が、政界よりもずっと進んでいます。

 プロフェッショナリティを磨き、ビジョンを語る。
 これは、決して難しいことではありません。

 自分のプロフェッショナリティって何だろう?
 自分のビジョンは何だろう? なぜそのビジョンなんだろうか?

 こういう問いをたて、自分と真摯に向き合って自分の思考を書き取ることさえできれば、だれでも必ず答えが見つかります。
 自分の何を磨いていけばいいのかが、これだけで見えてきます。
 そして、人から共感され尊敬さえされ、応援してもらえるビジョンがかならず語れるようになります。

 そうやって自信を持ち、自分の生かし方が分かり、人とつながり、未来がひらけて幸せな状態になった人は、私の周囲にもたくさんいます。

人を幸せにする「素敵な自己満」



先週金曜日、写真家の佐々木啓太さんとコラボトークライブをやりました。
会場は代官山のカフェ「山羊に、聞く?」。
佐々木同士ですが、写真家とコンサルタント。かなりミスマッチ。
しかし、予想外の共通点がたくさんあり、一つのテーマで、違う側面から刺激的に話をぶつけ合い、深いところに、すっと入って行けてしまいました。

たとえば、素晴らしい評価を受けるすごい写真は、かならず酷評する人がいる、という話。
ビジネスプロデュースでも、同じことがいえます。後にヒットするビジネスプランは、当初は反対者も多く、しかし、強烈に支持する人もいる、というケースがよくあります。

つまり、
「自己満」を大事にして、いっぽうで自分を磨きながら、いっぽうで誰かと響き合う術(すべ)を獲得していくことは、未来をひらく方法になり、結局それが、自己満を超えて多くの人にとって価値あるものを生み出す道になる。

この点において、写真も、人生も、ビジネスプロデュースも同じだと。

トークライブの流れは、
まず、啓太さんの撮ったクールな写真をたくさんスライドに映しながら、「街角写真」とは何か、どうやって撮るかを、啓太さんに語ってもらいました。モノクロ写真の話から、影があるから光が見える、うまく嘘をつくから伝えたいことが伝わる、という話に発展。写真から、ちょっと人生を考えるモードに。
私が撮った写真も皆さんにお見せし、プレゼンツール、企画書に写真をどう生かしているかについてもお話ししました。

ひとはみな、美しい物に感じやすくなるときがあると、私は思います。
何かを強烈に求めているとき、非常に忙しいとき、追い詰められたとき、ふとしたエアポケットが生まれた瞬間、ひとは、身近な光景のなかに、普段は発見できない「美」を発見してしまう。

私は、数年前から写真を撮るようになって、美しい物と出会う瞬間が増えています。

密かに「いい!」と思ってきた佐々木啓太さんの写真。啓太さんの求めているものや、生き方がいいと思えるから写真もいいということなのか、とわかりました。

今回のトークライブは、本当に楽しませてもらいました。

「街角写真家」佐々木啓太さん、ありがとうございました。

そして、素敵な金曜の夜を共有していただいた皆さま、ありがとうございました。


佐々木直彦

40代からの自分プロデュース



先日、はじめてトークライブをやりました。
テーマは「40代からの自分プロデュース」。
40代というのは、仕事でも人生でも様々な転機が起きる。危機もあればチャンスもある。そして、転機に、自分を生かしていい勝負ができるかどうかが、その後の分かれ目になる。ではどうしたら、未来をひらく自分プロデュースができるのか。40代に、いい勝負をして未来をひらいた人は、何がよかったのか・・・というような話しをしました。

40代は、多くの人が守りに入る年代でもあります。
やりたいことがあるのに、企業人として自制したり、自分を思考停止にしたり、感じないようにコントロールしたりしている人も少なくありません。
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